皆さんこんばんは、今日は12話の感想の体をした実質的な2期12話までの総合振り返り記事です。
◆ 1期における自己実現とは
私はブログなどで繰り返し、アニガサキ、そして虹ヶ咲を読み解く上でのキーワードを『自己実現』であると語ってきています。
これがどういった概念であるかというのは、ろっぷる氏の記事に詳しいのでそちらをご覧いただければな、と。基本的には私の言いたいことと9割同じです。
ろっぷる氏との差異も含めて、私の言葉で簡単にまとめるなら、自己実現を叶えている状態、というのは「自分が他者とは異なる存在であるということを認識している」状態であり、そのための手段として「自分のやりたいことをやる」という自己表現というものが存在すると思っています。
個人的に一番わかり易い例だと思っている、璃奈の例を挙げて話させてください。
璃奈は感情豊かな女の子である一方で、自らの気持ちを表現することが苦手な女の子でした。ですが、過去積み重ねた失敗で、自らの気持ちを表現することを諦めてしまっていました。
そんな彼女の転機になった存在は大きく2つ。「宮下愛」の存在と「スクールアイドル」の存在です。
璃奈は愛やスクールアイドルからトキメキをもらい、スクールアイドルを通じて自分を表現することを始めました。
時に挫折しながらも自分なりの表現というのを完成させていきます。
というのが、1期の『自己実現』でした。
ここで、大事なのが『自己実現』は決して外的要因を含まない、ということ。思い出してほしいんですが、1期の個人回っていわゆる外の問題を解決してないんですよね。
例えば6話で言えば、璃奈にとっての問題って「表情が出ないから周囲に誤解されること」それそのものと言うより、「自分の気持ちを正確に他人に伝えられないかもしれない」ことに対する、璃奈自信の恐れだったり、もどかしさだったり、そういった部分の
璃奈ちゃんボードは璃奈自信の納得のために必要なアイテムである、というのが1期的な表現の肝です。
他にも、例えば彼方回の場合、解決の鍵は彼方が遥の気持ちに気がつくことだったり、しずくであれば自分を表現することへの恐れとの対決だったり、仲間の力を借りつつも、基本的には自分と向き合うことが解決のキーだったわけです。
唯一例外なのはエマだったりしますが……まあ、9人中8人が該当するのであれば凡そ誤差の範囲内だと思ってほしいです()
せつ菜のラブライブ云々はどうなんだ、という反論もあると思いますが、あれはラブライブに出ないということよりも、「せつ菜の大好き」を受け止めてくれる存在が現れた、だからせつ菜自信が自分の大好きが誰かを傷つけることを心配しなくてよい……というのが大きかったわけです。(とは言え、その傷というか恐れが100%癒えていなかったのは2期6話を見たみなさんならお気づきでしょうが)
ラブライブに出ないことはあくまでそのための手段に過ぎないわけで、ラブライブに出ないことが問題の解決ではないことは抑えておきたいポイントですね。
◆ 2期における自己実現のあり方
それでは2期はどうかというと、1期で9人は自己実現を達成してしまっているわけで、同じことを描くわけにはいかないわけです。
一方で例外として挙げられるのは侑、そして新加入組であるランジュ、栞子、ミアでしょう。
侑は1期を同好会で過ごしてこそいましたが、1期の13話で自己実現を踏み出したばかりなわけで(9人でいうならスクールアイドルを始めたばかりの段階)、スクールアイドルの9人からは半歩遅れている状況なわけです。
そこは侑自信自覚していることは、1期の3話を中心に描かれていました。
侑の自己実現について描かれたのが2期の3話や7話でした。
今回、12話でお互いが進めば離れてしまう、ということが話題になったのは、ある意味で言うと侑が歩夢に追いついたからこそ出てきた話題なのかもしれないですね。(この話題は忘れていなければ)
また、新加入組であるランジュ、栞子、ミアについては侑とは違って半年間同好会の活動を見てきたわけではないので、侑を半歩遅れとするなら、一歩遅れている、と言える状態でスタートしていたかと思います。
だからこそ、彼女たちが自己実現を成す7話や9話はロジックとしてかなり1期に近いものが用意されていると思います。(個人的な話ですが、2期で一番好きな話を選べと言われたら7話か9話の2択になるでしょう)
個人的に2期が複雑かつ、情報量が多いのは、9人が足並みを揃えて成長してきた1期と違い、異なる成長のステージにいるメンバーが多層的に存在し、それらが相互に影響しあっている、ということです。
更に言うと、9人のライン、侑、新メンバー3人のラインの三重構造だけでも厄介なのに、ここに4話では美里さん(ファンサイド)や、12話では外部の学校の物語まで入り込んでくることです。もうカウントできないレベルの多重構造でしょう。
ただ、このままだと多層構造の物語がバラバラに進行し、ただのオムニバス作品にしかならないわけなんですが、これらを有機的につなぎとめる存在が「応援」なんじゃないかな、というのが12話を見た私の結論です。
◆ トキメキを「つなげていく」ということ
あくまで私の仮説でしかないのですが、この作品において、自分が自己実現をしようと思うきっかけは基本外部からもたらされたものです。
例外が、この作品の原点である元祖スクールアイドル同好会のメンバー5人、せつ菜、かすみ、しずく、彼方、エマです。
それ以外のメンバーは多かれ少なかれこの5人、ないしこの5人のメンバーに影響を受けた9人+1人から影響を受けているわけで。
これ、すごい当たり前の話ですけど、世の中誰かからもらったものは誰かに同じことをしてあげなきゃいけないよね、って大原則あるじゃないですか。人にやさしくされたら自分も人に優しくしてあげる、的な。
1期で、9人のメンバーは同好会のメンバーや多くのファンに支えてもらって自己実現を成し遂げたわけで、だからこそ彼女たちは誰かの自己実現を助けて上げたくなる。
果林先輩の言葉を借りるなら「お節介」の集団になるわけです。
誰かの自己実現を叶える手伝いがしたい、そう思える彼女たちだからこそ、「同好会」という場を残すことにもこだわったんじゃないかな、と思うんですよ。
だからこそ、2期は「9人が誰かの自己実現を援助する」物語であると同時に、自己実現、やりたいことを成すための『応援』という名前の相互扶助ネットワークというのも一つの大きなテーマだったんじゃないかな、と思います。
今まで点でしかなかった「自己実現」が結びついて線になっていく、そしてそれが面になり、立体になり、遠くへ広がっていく、そんな話を描きたかったのがアニガサキの2期だったんじゃないかな、と。
ただ、補足しておくと、これは別に2期から始まった概念というわけではなく、1期のときから既に同好会の内部では描かれた概念だったわけで。
誰かが挫けそうになれば、誰かが手を伸ばす、当たり前のことで、あくまで2期はそれを同好会の外に広げただけ……というお話でした。
◆ スクスタとのつながり
更に言うとこの概念は、スクスタ時空でも既に示されていた話でもあります。
スクスタの最新の全体曲、「L! L! L!」にはこんな歌詞があります。
みんなとだから 今日がきらめく
どこにいても ひとりじゃないね
わたしたち夢で繋がってるんだ
L!L!L!(Love the Life We Live) – 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
「どこにいてもつながっている」「夢でつながっている」というのがまさに今回の話でしょう。
スクスタの最新章は、簡単に言えば自分らしさを表現するために頑張っている人たちは誰だってスクールアイドルなんだ……そういう話で、まさにアニガサキの伝えたいことを別の形で切り出した物語とも言えると思います。
ステージで歌って踊るだけがスクールアイドル(自己実現)の形じゃない、ということはまさに侑の存在や、スクールアイドルを応援しようとしている各校のファンたちの描写に重なる部分があるんじゃないでしょうか。
と、まあ12話感想というより、2期の総括でした。
13話はおそらく、1期の時がそうだったように、2期で伝えたかった物語をまとめて補強することになるんじゃないかな、と思います。
9人は色んな人にトキメキを伝えました。
1人と3人は受け取ったトキメキで走り始めました。
彼女たちにどんな結末が待っているか、ここで予想してしまうだけ興ざめというか野暮と言うもんだと思いますので、大人しく13話を待とうと思います。
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